美術館について

西に雄大な中央アルプスを望み、眼下に天竜川の清流と緑豊かな河岸段丘の里を一望する中川村、美里の丘。この最高のロケーションの地に日本唯一のアンフォルメル美術館はたたずんでいます。この美術館は、フランス芸術文化勲章を授章した鈴木崧(すずきたかし)画伯の構想のもとに、建築家毛綱毅曠(もづなきこう)氏の斬新な設計によるものです。建築や施設は、鈴木氏から中川村が譲り受け、又、多くのアンフォルメル作品も同氏から寄贈いただいたものです。鈴木コレクションを通し、現代美術の動向や芸術・文化の広がりをお楽しみ下さい。

 

 *鈴木崧の経歴はこちら

 

 

◎展示スペースについて

 

美術館には[本館]と[アトリエ棟]の2箇所の展示空間があります。

 

[本館]

基本的にはコレクション展を開催し、定期的にアンフォルメルをテーマにした企画展を開催しています。

 

[アトリエ棟]

アンフォルメルに限らず幅広いジャンルの展示を開催しています。

アンフォルメルとは

ヨーロッパ、とくにフランスを中心に1950 年代に展開された抽象絵画の動向を指す。「アンフォルメル」という語は、51 年にフランスの批評家タピエMichel Tapie(1909~1987)が名付けたもの。第二次大戦前の抽象絵画は全体としては、幾何学的な抽象に落ち着いてマンネリ化してしまっていた。大戦を経て人間の自己表現というものがあらたに問い直され、しかも、もはやシュールレアリズム的な象形的(フィギュラティフ)絵画は不可能であるという認識に立って絵画表現の可能性が探られていったときに、写実的ないし象形的な形態表現に頼らずに、自動記述的表現そのまま画面に定着することの中に自己表現を託していこうとする絵画が生まれた。結果としての作品の形状が〈不定形、無形体〉であることから〈アンフォルメル〉と呼ばれる。
(平凡社大百科事典[千葉成夫]より)

美術館 [本館]

美術館 [アトリエ棟]

美術館見取り図

 

鈴木崧の経歴

1898(明治31)年 12月8日、茨城県出身鈴木錠蔵代議士(政友会)とまつの間の3男3女の長男として横浜に生まれる。

1904(明治37)年 横浜第一小学校入学

1916(大正 5)年 慶応大学法学部卒業後、文学部哲学科入学。途中退学し、渡仏する。ソルボンヌ大学入学。法学士号(リサンヌ アンドロア)及び文学士号(リサンス エスレットル)取得。外交官として駐在していた芦田均宅に住み、美術、バレエ、音楽等、芸術に囲まれた環境に暮らす。その他ソルボンヌ大学文科にて哲学、美学、社会学等の研究で約10年間在学。

1924(大正13)年 巴里大倉組仏通商会社入社。航空機関関係の業務に就く。

1927(昭和2)年 上記退社。ソルボンヌ大学で法律経済を研究しドクツール・アンドロア学位を取得。

1929(昭和4)年 高木東六とボア・ド・ブローニュのアパートで共同生活をする。

高木作曲、鈴木作詞の歌曲「秋の歌」「月見草」

1931(昭和6)年 パリにおいて国際連盟臨時理事会議に時事新報特派員として出席し、ナチスヒトラーの台頭により激動する欧州情勢を取材する。

1932(昭和7)年 6月帰国。10月外務省臨時雇員(外交官待遇)となり松岡洋右元外相の広報担当秘書を勤める。スイス・ジュネーブ開催の国際連盟臨時総会の事務を嘱託され、10月21日、帝国全権大使松岡洋右のフランス語の広報秘書官として出席する。

1933(昭和8)年 国際連盟脱退時の代表団にも随行。国交断絶により帰国。嘱託を解かれる。同年8月、時事新報顧問の嘱託となる。論説委員として活躍するが、「満州放棄論」を書いたため当局ににらまれて退社。

1935(昭和10)年 松岡洋右夫妻の媒酌で加藤鞠子と結婚。フランス、エア・リキードの日本法人「帝国酸素」入社。神戸支店長、営業部長として勤務。この頃の部下に小説家大岡昇平が通訳として鈴木の紹介で勤務。鈴木をモデルに後に「酸素」を執筆する(1955)。

1937(昭和12)年 正岡子規の墓を詣で、句作を始める。

1941(昭和16)年 太平洋戦争開戦に際し「機密書類を連合国側に渡した。」とでっち上げられ、憲兵隊に連行され8ヶ月拘禁される。戦争反対の立場を取る。

1943(昭和18)年 第30回二科展において理論部を新設し、理論部会員となる。北園克衛、植村鷹千代、山中散生とともに絵画理論の指導に当たる。

1046(昭和21)年 SEFフランス映画輸入組合日本事務所設立「美女と野獣」など輸入する。財閥解体問題に係る。

1947(昭和22)年 二科展出品を始める。日仏合弁会社「帝国酸素」専務取締役に就任。

1948(昭和23)「帝国酸素」代表取締役社長に就任。戦時中は中断していたミュケ会を再興してカメリア会発足。

1950(昭和25)年 フランス映画の輸入会社「新外映」の社長に就任。詩集「二組のうた」

1951(昭和26)年 フランス映画の輸入・配給「新外映配給(株)」に変更。

1952(昭和27)年 「芸術と文化の会」を結成し、「映画と講演の集い」を毎月開催する。

月報「アエセ」創刊。執筆者辰野隆、小林正、伊吹武彦(フランス文学者)、菅野昭正、滝田文彦、加藤周一(フランス文学等研究者)、野間宏、三島由紀夫、佐藤春夫、北園克衛、金子光晴(文学者)

1955(昭和30)年 フランス サロン・ド・メ出品

1959(昭和34)年 ローマ、サリタ画廊にて個展。映画輸入のために毎年渡欧する。

1960(昭和35)年 二科会において海外を担当し「国際文化交流展」(フランス、イタリア、スペイン、ブルガリア、デンマーク)を企画担当する。フランス サロン・ド・コンパレゾンに出品。白木屋画廊個展。

1961(昭和36)年 イタリア、トリノ国際審美研究所に出品。ドイツ、ベルリン現代日本絵画展出品。白木屋画廊鈴木崧作品展。

1963(昭和38)年 映画のテレビ放映のための輸入会社「ロアイヤル」設立後社長就任。NHK・民放各社に配給。

1965(昭和40)年 50日間欧州に滞在。掘口大学と俳句をはじめる。

1968(昭和43)年 ジュネーブ、コルチナ画廊にて「マチュー、鈴木」二人展

1970(昭和46)年 コルチナ画廊にて個展

1973(昭和49)年 詩集「横断歩道」出版

1978(昭和53)年 フランス芸術文化勲章勲位シュバリエ授章

1988(昭和63)年 10月アンフォルメル中川村美術館建設工事着工

1993(平成5)年 フランス政府から芸術文化勲章勲位オフィシエ授章。10月29日、アンフォルメル中川村美術館開館。

1998(平成10)年 晩年は黒姫の別荘で過ごし、3月22日、99歳の天寿を全う。

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